この記事に辿りついたみなさんはアメリカンニューシネマに興味がありますね?
しかし、アメリカンニューシネマという言葉は聞いたことあるけどぶっちゃけ意味がよく分かっていない人が多いのではないでしょうか?
この記事では中学生でもわかるくらい分かりやすく、かみ砕いて説明します。
そのため、それぞれの概念の説明がザックリとし過ぎているかもしれません。
厳密には言葉足らずかも知れませんが、まずはイメージだけでもつかんでいただきたいと思っていますのでその点だけご了承ください。
本記事では、このジャンルがどのようにして生まれて流行っていったのか。
そしてどのようにして衰退していったのかを説明し、いくつかの作品を紹介したうえで、このジャンルの映画を楽しむ方法について私の考えを述べます。
なお、記事作成にあたって以下の本を参考にしました。
アメリカンニューシネマとは?
明確な定義はない
一言で言うと「1960年代後半から1970年代半ばに起こったアメリカ映画のムーブメントのこと」です。
と言われましてもよく分からんですよね(笑)
ムーブメントというか、もはや映画のジャンルとして認識されています。
でも、明確な定義はないんですよ。
そのため、「この作品はアメリカンニューシネマだ」と断定できるものではありません。
観る人によって「この作品はニューシネマじゃないだろ!」と言われるような作品もあります。
とても曖昧なんですよ。
ちなみに「アメリカンニューシネマ」は日本での呼び方で、アメリカでは「ハリウッド・ルネッサンス」とか「ニュー・ハリウッド」とかって言っているそう。
雑誌で紹介されたことがきっかけ
まず、「俺たちに明日はない」というアメリカンニューシネマの1作目と言われる映画が1967年に公開されました。
当作は批評家からの評価も高かったそうで、アメリカのニュース雑誌である「TIME」が「ニューシネマ 暴力…セ〇クス…芸術!自由に目覚めたハリウッド映画」と紹介したそうです。
それが日本に「アメリカンニューシネマ」と紹介されるきっかけとなったそうです。
簡単に言うと、「それ以前につくられてきたハリウッド映画とは違った特色をもつ映画作品群」です。
じゃあそれ以前はどんなハリウッド映画がつくられてきたのか?
従来までのハリウッド映画の特色
アメリカンニューシネマが生まれる前は「勧善懲悪」「夢のような恋物語」みたいな結末を迎える映画ばかりだったんです。
つまり「ハッピーエンド」です。
でも、次第にアメリカ人が政治へ不信感を抱くようになったんです。
その結果、「映画なんて頭の中お花畑の作品ばかりだ。もっと現実見ろよ」と不満を持つようになります。
このようにアメリカ国民がフラストレーションを溜めたタイミングでアメリカンニューシネマが国民の心に刺さったんです。
アメリカンニューシネマの特徴
アメリカンニューシネマには以下のような特徴があります。
・60年代から70年代半ばに製作
・それ以前までの「勧善懲悪」「夢のような恋物語」などのような観客に夢と希望を与えるような内容とは異なり、社会や政治に対する反体制的なメッセージが主流。
・主人公がアンチヒーロー(犯罪者、社会的弱者など)
・暴力シーン、性描写もガンガン含む
・胸糞悪い展開で終わることも多い
・ただの旅番組みたいな作品もあり、説明不足のことも多い
アメリカンニューシネマを生んだ出来事
アメリカンニューシネマを理解するために知っておくべき用語を簡潔に説明します。
スタジオシステム崩壊
スタジオシステムって何か?
少数の大手の映画製作会社が製作・配給・上映まで行い、寡占的に映画産業を牛耳っているビジネスモデルのことです。
「寡占」という難しい経済学用語を使っていますが、要は「独占状態」に近いです。
こういうビジネス構造だと何がダメなのか?
構造的に、監督や脚本家が自由に映画を作れないんですよ。
単純に「一般大衆にウケるような作品」しか作れません。
だって興行収入を確保しないといけないから。
常に映画製作会社への忖度が混じった作品になります。
その結果「勧善懲悪」「夢のような恋物語」みたいな頭の中お花畑の作品しか生まれなかったんです。
でも次第にこの「スタジオシステム」というビジネスモデルは崩壊していきます。
そして、この頭の中のお花畑を燃やしたのがアメリカンニューシネマです。
ニューシネマでは若い映画監督が自由な作風でガンガン作っていきました。
もはや忖度なんてありません。
ベトナム戦争
・北ベトナム(社会主義)VS南ベトナム(資本主義)
・北ベトナムの勝利、南ベトナムは無条件降伏
・アメリカは南ベトナム側(つまり敗北側)
・アメリカ軍はゲリラ戦で苦戦
・1975年に終戦(約15年続いた)
・多数の兵士が帰還後にPTSDを患う
詳細は省きますが、要はとんでもなく悲惨な戦場だったということです。
民間人も多数亡くなっています。
テレビの普及・報道によりベトナム戦争の実態がアメリカ国民に対して明かされ、あまりの悲惨さにアメリカ人も超ドン引き。
「何のためにこんな残酷なことをやっているの?」と疑問に思い、反戦運動も起こったそうです。
これによりホワイトハウスへの信頼感は一気に下がりました。
公民権運動
正式には「アフリカ系アメリカ人公民権運動」と言ったりします。
つまり、黒人が公民権の適用や人種差別の解消を求めて行った社会運動のこと。
カウンターカルチャー
組織などの支配的な文化や体制を批判する文化のこと。
この文化を担っていたのが「ヒッピー」と呼ばれる人たちです。
雑に言うと「俺達ぁ、社会の慣習なんかに従わねえよ」というロックな精神をもった文化です。
ベトナム戦争や公民権運動によりこの文化は加速しました。
若者のヒッピー化
ヒッピーとは1960年代後半にアメリカ合衆国に登場した、社会の常識的な価値観に対抗するカウンターカルチャーを担った若者のことです。
この人たちの運動のことをヒッピー・ムーブメントと言います。
ヒッピーの主な特徴は、
・ジーンズなど変わった服装
・長髪の男
・定職につかず放浪している
・ロック音楽を好む
・ドラッグ(マリファナやLSDなど)を乱用
まあ一言で言うと「ヤンキー」です。
ヤンキーというとちっぽけに聞こえるかもしれませんが、この人たちの活動の目的(モットー)は「組織に属するんじゃなくて、個人で力をつけていこう」といったものだったらしいです。
アメリカンニューシネマ流行経緯まとめ
ここまでの話をおさらいします。
ベトナム戦争や公民権運動により、アメリカ国民の政治への不満などが最高潮に達していき、若者はヤンキー化(ヒッピー化)していき、人々は「勧善懲悪の映画なんてクソくらえだ!」と捻くれていった。
また、映画業界の既得権益が崩れていったこと(スタジオシステム崩壊)も相まってアメリカンニューシネマが流行るようになった。
アメリカンニューシネマの終わり
ブームはいつか終わります。
1970年代半ばに差し掛かり、アメリカンニューシネマも終わりの鐘が鳴ってきました。
ベトナム戦争の終焉
ベトナム戦争終結(1975年あたり)を頃から徐々にニューシネマは終わりを迎え、70年代半ばから「ジョーズ」や「スターウォーズ」など一般大衆にウケる作品が再度流行り始めました。
これらの作品はなんだかハリウッドらしいですよね。
ベトナム戦争が終わってアメリカ人も一安心したのかもしれません。
ずっと暗い時代が続いていたから夢のあるヒーロー映画がまた観たくなったのかもしれません。
現代への影響(ニューシネマは死なない)
アメリカンニューシネマの作風は現代映画にも影響を与えていることが分かります。
みなさん「胸糞映画」って好きですか?
私は好きです。
胸糞悪い展開で終わるアンハッピーな映画です。
しかし、アメリカンニューシネマが流行る前っていわゆる「胸糞映画」がほとんどないように思います。
そう考えると、ニューシネマが「胸糞悪い映画」を解禁したとも捉えられます。
「別にハッピーエンドで終わらなくてもいいんだよ!」とロックな精神を叩きつけたような気がします。
胸糞映画は世知辛い現実の世界を生きる人々によって愛され続けています。
何の作品を観ればいい?
ニューシネマについて色々説明しましたが、実際に映画を観るとその作風を肌で感じることができます。
各作品の詳細についてはいずれ記事を書こうと思っています。
・俺たちに明日はない(1967年)
・卒業(1967年)
・イージー・ライダー(1969年)
・明日に向って撃て! (1969年)
・時計じかけのオレンジ(1971年)
・タクシードライバー(1976年)
・ジョーカー(2019年)※筆者は当作のことを「近年掘り返されたアメリカンニューシネマ」だと思っています。
まずは「最初のアメリカンニューシネマ」と言われる「俺たちに明日はない」を観てみてください。
俺たちに明日はないを観るまた、ニューシネマ作品ではぶっちぎりで面白い「タクシードライバー」もぜひご覧ください。
タクシードライバーを観るまた、つい最近観た劇場公開作品「DOGMAN ドッグマン」も個人的にはニューシネマ的な側面があると感じました。
アメリカンニューシネマの楽しみ方
ニューシネマ作品に共感できるということは少なからず現状の自分の人生や政治等に不平不満を抱いているのかもしれません。
私自身ニューシネマを観て共感できる部分が多いので、少なからず自分の人生に対する漠然とした不安や孤独感などを抱えているのかもしれません。
作品に共感した結果、「自分もニューシネマの主人公のような生き方をしよう!」と思う人もいるかもしれません。
これにより政治に対して攻撃的になる人もいるかもしれません。
しかし、ニューシネマに感化されて自分もヒッピー化するのはナンセンスです。
結局、ニューシネマの主人公は幸せになるように描かれていませんし、現実的にも社会に不平不満を言ってグレたところで明日以降の自分の人生は変わらないと思います。
ニューシネマを観ているとつくづく思うことは「人格はその人を取り巻く環境によって形成される」ということ。
ニューシネマの主人公も生まれてくる時代が違えばこのような行動はとらなかっただろうと思ってしまいます。
そう考えると主人公が少々不憫でもあります。
ニューシネマの最大の良さは「環境が人をつくりあげてしまうということを強く認識させてくれるところ」だと思っています。
このことを認識することができれば、自ら対策を打つことができます。
例えば自分が今いる会社がとんでもないブラック企業なのであれば、自分の肉体と精神が壊れてしまう前に転職をしようなどと対策を検討することができます。
決して自暴自棄になって努力することを放棄して、ならず者へと堕ちるべきではないと思います。
日本人のカウンターカルチャー・ヒッピー化については、いろいろと思うところがありまして、別の記事で詳しく語るかもしれません。
(例)
・安倍晋三銃撃事件
・京王線刺傷事件(ジョーカー男)
安易に環境を変えられない人もいる
前のパートでアメリカンニューシネマの楽しみ方を偉そうに説教クサく話しましたが、実際私はまだ分かっていません。
だって、安易に理解できなくないですか?
作品の時代背景が世界恐慌(1930年代)とかベトナム戦争が起こっていた時代とか、その当時を生きた人間にしか分からないですよね。
少なくとも私が生きている現代日本はそれほど居心地悪くありません。
インフラも整備されているし、社会保障だって充実しているのでそれほど不自由を感じることはありません。
「ヒッピー化してグレるんじゃなくて、環境が大事なんだから自ら環境を変えていきましょう!」とか正論を言われても、ニューシネマが流行った時代を生きていた人々はそう簡単に自分の環境を変えられなかったと思います。
現代においても、例えば生まれてきた環境がとてもひどく、簡単に環境を変えられない人もいるでしょう。
また、生まれもって身体的・精神的なハンディキャップを背負って生きている人もいるでしょう。
そのような方々に対して安易に「環境を変える勇気を持ちましょう!」なんて私はとても言えません。
結論、私はアメリカンニューシネマをエンタメとして楽しむことはできても、その作品をどのように「明日へのアクション」へと昇華していくべきかは答えが出ていません。
ぜひ皆さんと一緒に考えていきたい所存でございます。
まとめ
いかがだったでしょうか?
「アメリカンニューシネマって何?」と聞かれた時、あなたご自身の言葉で簡単に説明できるくらいまで理解度が上がりましたでしょうか?
そうなれば後はニューシネマ作品を観ていく中でもっと理解を深めていってください。
どっぷりニューシネマにのめりこむことになるでしょう。
今日もご愛読いただきありがとうございました。
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