【ネタバレあり】映画「オッペンハイマー」のシーンごとに感想を言っていきます!

※当記事ではアフィリエイト広告を利用しています。

※本記事ではネタバレを含みますので、未見で内容を一切知りたくないという方は離脱願います。

今回はクリストファー・ノーラン監督の最新作「オッペンハイマー」のネタバレありの感想を語っていきます。

全部のシーンについて言及しているものではなく、私が気になったシーンについてのみ取り上げていきます。

みなさんご存じのとおり、本作はデリケートなテーマを取り扱っています。

そのため、どんな感想であっても万人に納得されるものではないと思います。

私の感想を読んで気分を害してしまう方がいるかもしれません。

被爆された方などのお考えを尊重し細心の注意を払って感想を述べているつもりですが、ひとりの人間が思ったことを率直に書き記しておりますのでその点だけご了承ください。

また、作中のセリフを紹介していますが、私の鑑賞の記憶を基に再現しておりますので、正確なセリフではない可能性もあります。

未見の方は予習として以下の記事も参考にしてみてください。

目次

作品情報

あらすじ

第2次世界大戦の中、優秀な理論物理学者であるJ・ロバート・オッペンハイマーは、「マンハッタン計画」におけるリーダーに任命され、原子爆弾の開発を行う。

原題Oppenheimer
ジャンルドラマ、伝記
監督クリストファー・ノーラン
主演キリアン・マーフィ
上映時間180分
製作国アメリカ、イギリス
製作年2023年

全体の雑感

引用:【本予告】『オッペンハイマー』3月29日(金)、全国ロードショー(youtube.com)

突然ですが、オッペンハイマーと同じ道を辿った人はこの世にいません。

なので完全に共感できない部分も多いでしょう。

むしろ共感できなくて当然だと思います。

しかし、だからこそ映画作品としての面白さがあると思います。

「自分が体験したことのない人生を送った人間は何を考え、どのような行動をとるのだろうか?」について考えるきっかけとなります。

この作品を観ない限り、日常生活を送る中でこんなことを考えることはあまりないでしょう。

引用:映画「オッペンハイマー」公式

これは私の想像ですが、ノーラン監督自身も何か特定の主義主張があるわけではなく、ただ観客に考えてほしかったのだと思います。

  • 核問題について
  • 人が過ちを犯した後、どのような道を進むべきなのか
  • 人の命に誠実に向き合うことについて

本作がきっかけとなり、あなたの中で何かの感情が生まれ、それが明日へのアクションにつながっていく可能性は大いにあります。

行動につながらなくとも見える世界は間違いなく広がるはずです。

センシティブな話題を取り扱っている以上、賛否両論になるのはやむを得ないと思いますが、観る意義は十分にあると筆者は感じました。

音について

本作は基本的にずっと音楽が流れています。

緊張感を煽るBGMや足音、オッペンハイマーの鬱々とした気持ちを表現した音楽が流れています。

そのため、IMAXで鑑賞した方がより深く没入感を味わえるかもしれません。

(私は非IMAXで鑑賞しましたが)

また、本作は会話の内容が非常に難しいです。

専門用語もバンバン飛び交います。

正直聞いてて理解できない会話もたくさんあります。

でも、音楽の曲調が変わることによって会話の内容が理解できなくても雰囲気をつかむことができます。

原爆投下都市を決定する会議シーンについて

引用:【本予告】『オッペンハイマー』3月29日(金)、全国ロードショー(youtube.com)

アメリカのお偉い責任者が集まって、「日本のどの都市に原爆を落とすか?」を決める会議がありました。

その会議の議長が「京都はターゲットから外す。なぜなら文化的価値が高いから。」と言います。

続けて「京都には妻との新婚旅行で行ったからね」とジョークをかまします。

このシーンから率直に感じたことは、

「多くの人命を左右する重要な会議は案外適当に進められ、個人の感情によって左右されてしまうこと」

このことにやるせなさを感じずにはいられません。

トルーマン大統領から嫌われるシーン

戦争が終結し、オッペンハイマーは英雄としてホワイトハウスに招待されます。

しかしオッペンハイマーは、尊い命が奪われてしまったことに対して罪の意識が強く、この時すでに精神的に参っていたように感じられます。

その結果、大統領に対して以下のようなセリフを吐きます。

「もう私の手は血で汚れている気がします」

その言葉に対して大統領はプッツンします。

「あのな、誰も原爆を作った当人を恨んだりしないんだよ!恨まれるのは実際に落とした俺なんだよ!」

大統領は側近に対して「二度とあの泣き虫を連れてくるな!」と言い放ちます。

確かにあの場面で大統領に対して弱気なセリフなんて吐いたら怒られる可能性の方が高いでしょう。

しかし、このトルーマン大統領はオッペンハイマーの気持ちを考えようとはしませんでした。

その結果、出た言葉が先ほどのセリフです。

しかし、実際私もオッペンハイマーの気持ちが容易に分かると言ったら語弊があります。

「自分の手で原爆を作ったけど、それを自ら利用したわけではない。しかし結果として自分の仕事の成果物のせいで大勢の人間が死んでしまった」

私にはそんな経験ありません。

むしろそんな経験のある人の気持ちなんて安易に理解できなくて当然かもしれません。

しかし一般化して考えると、日常的に同じようなことは頻繁に起きます。

程度の差こそあれ、「その人にしかわからない感情」を自分の価値観で安易に否定してしまうことってありませんか?

例えば「美容整形したい」という人がいたとします。

その人に対して「君の顔のどこが気になるのか全く分からない!気にするようなことじゃないからやめときなよ!」と一蹴してしまうことってありませんか?

言葉にしなくても心の中で思うことありますよね。

でも当たり前ですが、その人の気持ちなんてその人にしかわからないんです。

他人が思ったことに対して「それはおかしい!」と判断するのはナンセンスだと思います。

人の感情を否定できる人なんていないんです。

もしこの時トルーマン大統領がオッペンハイマーの気持ちを考え、デリカシーのないセリフで一蹴しなければまた世界は変わっていたのかもしれないと考える所存です。

時系列を組み替えたことについて

引用:映画「オッペンハイマー」公式

このテクニックにより「話が理解しづらい」と言われています。

しかし、このことによってかえって理解しやすかった側面もあると思います。

これは時系列をあえてぐちゃぐちゃにしたのではなく、各場面の昔の回想シーンを引用として利用しているのかもしれません。

つまり、監督自身は引用を用いることでむしろ分かりやすくしたのかもしれません。

とは言っても、前情報を一切入れずに本作を観ると多くの方は混乱してしまうと思います。

もしかすると監督はあえて複雑にすることにより鑑賞後に「あの時系列の組み換えは何だったんだろう?」と考えさせたかったのかもしれません。

しかし、私も含めそれほど頭が良くない人は単純に混乱してしまい、考えること自体をやめてしまう恐れがあります。

したがって、本作はオッペンハイマーの生涯をザックリと時系列順に予習しておいた方が話についていきやすいでしょう。

濡れ場について

引用:映画「オッペンハイマー」公式

「濡れ場は必要なかった」と言っている方も見かけました。

しかし、オッペンハイマーが単なる天才というわけではなく、ひとりの人間として俗物の側面をもっているということを表現するには都合の良いの描写だったと思います。

それに単純な話ですが、濡れ場シーンってついつい目を見張ってしまう側面もあります(笑)

そのため、観客を飽きさせない効果もあったと思います。

ストローズとの対立について

引用:映画「オッペンハイマー」公式

オッペンハイマーとストローズは水爆に対する姿勢から対立します。

ある公開セッションでオッペンハイマーはストローズに赤っ恥をかかせます。

具体的には、アイソトープの輸出をめぐって議論していましたが、オッペンハイマーはジョーク交じりにストローズを論破し、公の場で笑いものにしたんです。

しかし、このことをストローズはずっと根に持っています。

みんなの前でバカにされて絶対に許せない」という気持ちも相まって、後々オッペンハイマーに復讐します。

オッペンハイマーは別に悪意があってあのようなセリフを言ったわけではないと思います。

それに観た人の感想のなかには「そんなことでずっと恨んでいるの?(笑)」という意見もありました。

しかし、個人的な恨みは怖いですよね。

意外とちょっとしたことで人間関係って破壊されてしまうものなんだなと思いましたね。

終戦後の演説のシーン

引用:映画「オッペンハイマー」公式

ここで筆者は涙してしまいました。

劇場の他の観客もすすり泣いている人がいました。

このシーンの詳細を言葉で説明するのは難しいです。

音・映像・俳優の表情を総動員して表現してきます。

ノーラン監督が一番力を入れたシーンなんじゃないかと思いました。

オッペンハイマーは戦争を終わらせたヒーローとして群衆の歓声を浴びながら演説を行います。

しかし、その表情は完全にひきつっていました。

加えてその脳内では苦しみもだえる人間の表情も入り混じったグロテスクな映像も映し出されていました。

私は悲しさと辛さから涙が出てきました。

日本の惨状を映し出していないことについて

結果的に広島と長崎の惨状は映像として描かれていません。

このことについては、専門家の間でも意見が分かれています。

「広島と長崎の惨状を描くべきだった」旨の主張をする専門家もいます。

しかし、私は描く必要はなかったと思っています。

そう思う理由は3つあります。

理由①

この作品はあくまでオッペンハイマーの一人称で描かれたものであり、オッペンハイマー本人は日本の惨状をリアルタイムで見ていないんです。

したがって、描こうにも描きようがないのだと思います。

理由②

トリニティ実験のシーンで原爆の破壊力は十分すぎるくらい表現されていました。

それだけで、観客に原爆の恐怖感を感じさせるには余りあるほどだと感じました。

理由③

これは私の憶測ですが、ノーラン監督は「原爆被害の惨状を描くことは極めて困難だ」と判断したのだと思います。

監督も「描くのか?描かないのか?」の2択で非常に悩んだと思います。

普通に考えたら、惨状を見せた方が被害の具体性が出るという点で良いのかもしれません。

しかし、どのように描いたとしても非難が殺到することは免れなかったと思います。

グロテスク描写を少し軽めにしたとしても「もっとひどかったんだよ!こんな生ぬるいもんじゃないぞ!?」と非難されるし、重く描きすぎると「こんなの劇場公開作品として世に出せるわけないだろ!」なんて言われてしまう。

監督が守りに入ったとは言いませんが、劇場公開するのであれば原爆の被害をちょうどいい具合に描くことは難しいでしょう。

私たちにできること

引用:【本予告】『オッペンハイマー』3月29日(金)、全国ロードショー(youtube.com)

原爆投下都市を決定する会議やオッペンハイマーの知的好奇心などの個人的な感情も加わった結果、多くの人間の尊い命が奪われてしまった側面も否定できません。

それら事実から、我々のような一人の市民は「どうせ偉い人や頭のいい人に俺たちの運命は左右されてしまうんでしょ」とやるせない気持ちになってしまうかもしれません。

私は本作から「あなたには何ができますか?」と問われているような気がしました。

普段平和な日本に生きていて核問題などについて考えることなんてそれほどありませんでした。

しかし、考え始めるところからすべては始まるんだと改めて実感しました。

まず考えない限り、アクションに移ることは絶対にありません。

その考えるきっかけを与えてくれる本作は、あなたにとっても私にとっても非常に価値ある体験を与えてくれる映画となり得るでしょう。

まとめ

いかがだったでしょうか?

公開初日から「X(旧Twitter)」では多くの人が感想や見解を述べていました。

多くの人が「すごい作品を観た!」と言っている一方で「会議シーンが多くて面白くなかった」や「そもそも観たくもない。こんな題材を扱うなんて不愉快だ」と言っている人もいました。

私は広島・長崎の出身ではありませんので実際に被爆された方の気持ちが分かると言ったら誇張になります。

そのため「みんな絶対に観るべき作品」と強く推すことまではできません。

気軽に観ることができる方とそうでない方がいらっしゃるかと思います。

気が向いたらで構いませんので一度ご覧になってはみてはいかがでしょうか。

今日もご愛読いただきありがとうございました。

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