【ネタバレあり考察】名作映画「タクシードライバー」のトラヴィスはただのヤバイ人間なのか?

画像引用:ソニー・ピクチャーズ公式

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今回はアメリカンニューシネマとして知られる映画「タクシードライバー」をネタバレありで考察します。

本作は考察すべき要素が盛りだくさんであり、自分の生き方や行動を内省するためにはとても勉強になる作品です。

「名作だし一度は観てみるかぁ」といった軽い気持ちで楽しむのもアリですが、ぜひ何度も繰り返し観て深く考察してみると様々な発見があって面白いと思います。

まず私の率直な感想を述べてから、各場面について考察します。

先に申し上げましたがネタバレを含みますので未見の方は以下の記事を参考にして作品をお楽しみください。

タクシードライバーを観る
目次

あらすじ

引用:映画.com

戦争から帰還した26歳の青年トラヴィスは、タクシードライバーとなる。

友人もおらず孤独にドライバーの仕事をしつつもニューヨークの夜の街に対し日頃から苛立ちを感じていた。

そんな中、大統領候補の選挙事務所に勤める女性ベッツィーとデートをすることになったが、デート場所にポルノ映画館を選んでしまい、あえなくフラれる。

このことから彼の狂気は加速する。

作品情報

原題Taxi Driver
ジャンルクライム
監督マーティン・スコセッシ
主演ロバート・デ・二―ロ
製作年1976年
製作国アメリカ
上映時間114分

率直な感想

引用:ソニー・ピクチャーズ公式

各シーンを考察する前に、映画を観た全体的な印象を簡潔にお話しします。

面白いしストーリーは分かりやすい

シンプルに面白いです。

基本的に話がトラヴィスの1人称で進むし、トラヴィスが書いている日記をナレーション形式で読み上げてくれるので、彼の心の動きが読み取りやすいです。

ロバート・デ・ニーロの魅惑的な演技

本作では少女娼婦アイリス役を演じたジョディ・フォスターもフューチャーされています。

なにしろ彼女は当時13歳だったわけですから、それであの大人びた演技は本当にすごいと思います。

でも、やはりロバート・デ・ニーロの社会不適合者的な演技が素晴らしいです。

とにかく惹きこまれます。ロバート・デ・ニーロ本人が社会不適合者なんじゃないかと思ってしまうほどです。

予習はした方がいいかもしれない

先に触れたようにナレーションが入るのでトラヴィスの心の動きは読み取りやすいです。

しかし、そもそもなぜトラヴィスがこのような社交性に欠ける人間であるのかについては、当時の時代背景を理解した方が分かりやすいです。

事前に当時の時代背景を学ばないで観ると「トラヴィスが根っからのヤバイ奴」だと解釈しかねません。

確かにトラヴィスには先天的な社交性のなさは間違いなくあるでしょう。

しかし、トラヴィスが現在置かれている状況を創り出したのは間違いなくベトナム戦争だと私は思います。

このように予習しないと解釈が違う方向に進んでいく可能性がある作品だと思いました。

とはいえ、私も初めて観たとき(私は3回観ました)、ベトナム戦争の詳細についてはよく分かっていませんでした。

それでも純粋にエンタメ作品として楽しめることは間違いないです。

予習をすると単なるエンタメ作品ではなく、社会的・文化的な価値をもつ作品だと思うようになるでしょう。

都市問題を考えるきっかけとなるかもしれない

先に触れたように本作はベトナム戦争が大きく影響しています。

それに加え、ニューヨークの都市問題もトラヴィスの人格形成に影響していると思われます。

物語中盤、トラヴィスが偶然店で居合わせた強盗を射殺するのですが、店主に言われてトラヴィスは逃げます。

その直後、店主は犯人を見ながら「これで5回目だよ」と言います。

「…一体どんな街なんですか?怖くてコンビニにも入れないじゃないですか」

物語序盤から街の荒れ具合は描かれており、荒んだ街が住民やトラヴィスの人格・行動に大きく影響したことでしょう。

そう考えると、都市経済学や犯罪心理学の研究材料としても本作を引用して論文が書けるんじゃないかと思いました(既に論文があっても不思議じゃないです)。

曲がいい

曲の雰囲気がいいですよね。

バーナード・ハーマンさんという「サイコ」や「めまい」の曲を手掛けた作曲家が本作の曲を担当しています。

曲調がとても気怠い感じで、なんだか当時のニューヨークの夜の空気間を表現しているみたいです(当時のニューヨークの空気間について私は知りませんが)。

なぜトラヴィスの狂気は暴走したのか?

引用:シネマカフェ

タクシードライバーという職業

タクシードライバーって語弊を恐れずに言うと「孤独な職業」だと思いませんか?

ところでみなさん、タクシーの運転手に何を求めていますか?

運転手との楽しいひとときを求めていますか?

ほとんどの人はあくまで「目的地まで移動することだけ」を求めていますよね?

それ以上でもそれ以下でもないと思います。

むしろ運転手が話しかけてきたら面倒くさいと思う人もいるかもしれません。

そう考えるならばタクシードライバーという職業自体が「孤独のメタファー」だと思いませんか?

まさにトラヴィスです。

友人もいなければ職場でも同僚から「守銭奴」と言われどこか馴染めていない。

そんな孤独な若者が自分の人生に意義を見出すためにどんな行動に走っていくのか。

PTSD・不眠症

PTSD(Post Traumatic Stress Disorder :心的外傷後ストレス障害)は、死の危険に直面した後、その体験の記憶が自分の意志とは関係なくフラッシュバックのように思い出されたり、悪夢に見たりすることが続き、不安や緊張が高まったり、辛さのあまり現実感がなくなったりする状態です。PTSDは決して珍しいものではなく、精神医療においては「ありふれた」病気のひとつであると言えます。

生死に関わる体験をすると、多くの人には不安、不眠、動悸などの症状が生じますが、多くの場合は一過性です。またフラッシュバックのような症状が生じたとしても、数ヶ月のうちに落ち着く人が少なくありません。しかし時間が経っても楽にならなかったり、かえってますます辛くなることもあります。また、数ヶ月から数年間経ってから、PTSD症状がはっきりとしてくる場合もあります。

引用「こころの情報サイト」PTSDとは

本作では明確にトラヴィスがPTSDを患っていることについては言及されていません。

それに、ベトナム戦争の帰還兵であることすら言及されていません。

しかし、物語冒頭の面接シーンの会話から彼がベトナム戦争の帰還兵であることが推測されます。

(「軍歴は?」と聞かれ、「名誉除隊 1973年5月」と答え、さらに「陸軍か?」と聞かれ「海兵隊」と答えます。)

加えて重度の不眠症を患っていることからPTSDの症状が出ていることも推測できます。

私は睡眠についての医学に詳しいわけではありませんが、単純に考えると「寝ないと心身共に健康でいられない」ことは明白ですよね。

毎日安定して良質な睡眠が得られていないトラヴィスがどんどん精神を病んでいくことも頷けるかもしれません。

日頃からの世間への不満

トラヴィスは日頃から街の人々に対して不満を感じていました。

作中のセリフで以下のようなものがあります。

「夜の街は、娼婦、ごろつき、ゲイ、麻薬売人で溢れている。吐き気がする。奴らを根こそぎ洗い流す雨はいつ降るんだ?」

このセリフを聞くと、どこか上から目線で正義と悪の境界線を自分で引いているような気がします。

「娼婦やゲイはろくでもない連中で自分はまともな人間だ」と言わんばかりの発言です。

この発言から私が想像するに、トラヴィスは街にいる人たちを軽蔑していると同時に「羨ましい」という気持ちもあったのではないかと思います。

例えるならば自分に恋人がいないとき、街で見かけるカップルに対してイラつくことありますよね。

あれに近い感情だと思います。

自分が孤独であるとき、仲間内(たとえそれが娼婦やごろつきだったとしても)で楽しそうにしている人を見かけるとイライラしてしまうことは、ある意味自然なことなのかもしれません。

例えば新宿歌舞伎町などを歩いていると似たような感覚になることがあるかもしれません。

いわゆる、今から10年ほど前に流行った言葉「リア充爆発しろ!」です。

希望が打ち砕かれた

ベッツィーと仲良くなることで、トラヴィスは孤独から解放されようとしていたのです。

しかし、ベッツィーにフラれたことで、「孤独からの解放」という希望が木っ端みじんに砕け散ります。

はじめてベッツィーを見たときは彼女のことを「天使」と称しています。

それが一気に悪魔へと変わったのです。

なぜベッツィーをポルノ映画に連れて行ったのか?

映画を観た多くの方はこの行為が意味不明だったと思います。

筆者自身も「トラヴィス何しとんねん!」と思ってしまいました。

なんでポルノ映画に連れて行ってしまったのか?

理由は2つあると思っています。

①シンプルに常識的な判断ができなかったから

「普通」に考えたら初デートでポルノ映画に連れてってはいけないことくらい分かります。

自慢ではありませんが私もこのくらい分かります。

でもその「普通」が分からない人もいます。

そもそも「普通」って何ですか?

じゃあ逆にベッツィーをどこに連れていけば正解だったんですか?

正解なんてないと思いますが、消去法くらいは適用できたはず。

つまり「絶対に連れて行ってはいけない場所」くらいは事前に把握できたはず。

しかし、日頃から人間関係を構築していない人はそれが分からなかったんだと思います。

自分以外の人は何に喜びを感じ、何に嫌悪感を抱くのか等を適切に判断することができなかったのでしょう。

本作ではトラヴィスの学歴などには触れられていませんが、冒頭の就職面接のシーンからあまり学がないことも伺えます。(「学歴は?」と聞かれ「学歴か…大したことはない」と答えています。)

トラヴィスは学がないことに加え、社交性に欠けるためデート相手を著しく不快な気持ちにさせてしまったのだと思います。

②相手が喜ぶと思ったから説

このように考えている人は現代でもいるんじゃないでしょうか?

現代ってアダルトビデオが簡単に観られる時代になりましたよね。

でも、生身の人間と向き合わずにアダルトビデオをひたすら見て妄想を膨らませている人は多いと思いますがどうでしょうか?

「このようにされると喜ぶんだな」

「どうだ?されてみたいんだろ?」

などと自分の中で妄想を膨らませ、現実でもそのスタンスが簡単に受け入れられると思っている人はいないでしょうか?

実際トラヴィスは日頃からポルノ映画館に頻繁に足を運んでいました。

つまりこのように考えられませんか?

「日頃からポルノ映画を観てきた知識をベッツィーを使って試してみたかった」(これは深読みのしすぎかもしれません)

何よりトラヴィスは愛欲に加え肉欲にも飢えていたことでしょう。

その結果、好きな女性をポルノ映画館に連れていくという早まった行動に出てしまった可能性は高いです。

なぜ大統領候補を殺害しようとした?

引用:ソニー・ピクチャーズ公式

「親が憎けりゃ子も憎い」

この言葉は、「親を憎むあまり、罪のないその子どもまで何だか憎く思えてきてしまう精神状態」を表しています。

トラヴィスはまさにこの精神状態に陥ったと考えます。

そもそもトラヴィスには学もありませんし、政治についても知識がありません。

タクシーの中で大統領候補から政治に関する質問をされても上手く答えることができませんでした。

つまり、そもそも政治家を憎むくらいの知識段階に至っていないのです。

憎んでいたのは政治家ではなくあくまでベッツィーです。

だってトラヴィスからみるとベッツィーは「初デートでポルノ映画に連れて行ったぐらいで自分をあっけなく振ってしまうようなロクでもない女」なんですから。

「親が憎けりゃ子も憎い」の言葉に当てはめると、「親=ベッツィー、子=大統領候補」なんです。

つまり、「ベッツィー(親)が憎い→大統領候補(子)が憎い」という思考回路になってしまったと考えられます。

これはみなさんも経験ありますよね?

例えばあなたに嫌いな友達がいたとして、その嫌いな友達と仲良くしている友達も何だか嫌いになってしまうという現象です。

なぜアイリスを助けようと思った?

引用:シネマカフェ

まずアイリスの出会いのシーンからトラヴィスはアイリスに関心を寄せていることが分かります。

しかし、本当にアイリスのことを心から心配して改心させたいと思っていたのでしょうか?

普通はあまりそんなこと考えないと思うのですがどうでしょうか?

そもそも社会人のみなさんは忙しいですよね?

仕事、家族サービス、恋愛、勉強、趣味等々、やることは盛りだくさんです。

どこの誰だか分からない小娘を救うことに時間なんて割いてられませんよね。

逆に考えるとトラヴィスはそれだけ暇だったということかもしれません。

もっと正確に言うと「自分が誰かの役に立っている実感がないから、自分の存在を世に知らしめたい」という気持ちです。

忙しい人は自分の人生に夢中になっています。

他人の人生にあれこれと口を出す人は結局暇なんだと思います。

でも、これはトラヴィスに限った話ではありません。

現実社会でも、例えば芸能人の私生活にあれこれと口を出す人が後を絶ちません。

芸能人の私生活なんて自分の人生とは何の関係もないのに。

そんな人もトラヴィスと本質的に変わらないのかもしれません。

ベッツィーを乗せたラストシーンの解釈

みなさん、このシーンをどのように解釈しましたか?

映像だけを見せられると、ベッツィーに久しぶりに会ったトラヴィスが余裕の表情を見せているように思えます。

ベッツィーも「見直したわ」といった雰囲気を見せています。

しかし、映画を観てきた観客なら知っているはずですよね。

決してトラヴィスは素晴らしい人間ではなく、大統領を殺し損ねた結果、アイリス周辺のごろつき達を一掃することへ目的を転換しただけだということを。

しかし、本作におけるマスコミは彼をヒーロー扱いします。

本作を観た観客は、トラヴィスが「ただターゲットを急に変えただけの混乱した男」であることを知っています。

ターゲットを変えてでも「自分が何者なのかを世に知らしめたかった」とか「何かを成し遂げたい」と言った気持ちもあったでしょう。

話を戻します。

ベッツィーをタクシーに乗せるラストシーンを見る限り、トラヴィスには変化がまったく見られません

観客であるみなさんが観てきたとおりのトラヴィスです。

変化が見られないため、トラヴィスが何を考えているのかが分かりづらいです。

しかし、ほんの一瞬、狂気じみた目つきをします。

つまり、この目つきからベッツィーに対する何かしらの負の感情をもっているように伺えます。

それに、トラヴィスが「今までと何も変わっていないこと」が怖いと思いませんか?

今後も彼はタクシードライバーをやり続けることでしょう。

何も変わっていないということはまた同じような行動に出るかもしれないということです。

そして、そんな彼を世に放置してしまった社会は今後どうあるべきなのかを問うている非常に学術的な側面をもっている映画だと私は思いました。

まとめ

いかがだったでしょうか?

私も若造であり読解力が優れているわけでもありませんので、「このシーンの解釈は違うかもしれない」と言った意見があればコメント等でご教示いただけると幸いです。

タクシードライバーを観る


今日もご愛読いただきありがとうございました。

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コメント

コメント一覧 (2件)

  • 今まで何回か観たのですが、なぜ大統領候補を襲おうとしたのかが理解できませんでしたが、
    「ベッツィー(親)が憎い→大統領候補(子)が憎い」という思考回路
    という説明でスッキリできました。ありがとうございます。

    • 初デートでポルノ映画に連れていったり、急に大統領候補を襲おうとしたり、トラヴィスの行動は支離滅裂で分かりづらいですよね(笑)

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